「これがあの」というつぶやきについての考察
聞いたことがあるけど見たことはなくて、それを見ようという意思を持って臨んだのではなく、偶然それに出くわしたときに発する「あぁ、これがあの」というつぶやき。略して"これあの"。
"これあの"を発見する機会は実は多くて、私の場合、10日に1つくらいの頻度で起こります。
例えば人。
過去に誰かから「〇〇のマスターが入れるコーヒーは美味しい」と聞いたことがあり、旅先で何気なく入った喫茶店のコーヒーが凄く美味しかったとき、「あぁそうか!ここがあの〇〇で、さっきコーヒーを運んでくれた人がマスターか!」と気づく。
"これあの"が発動すると、初めて会ったのになぜか懐かしく嬉しい気持ちになります。なぜこんな気持ちになるかと言うと、ひとつは断片的だった物事が一本道で繋がる爽快感、ひとつは新たな知識を得たことによる知識欲の充足、そしてもうひとつは、〇〇のコーヒーが美味しいと聞いてから、私がそのことを忘れている間もずっと、マスターは美味しいコーヒーを淹れ続けてたんだなと想像できるから、ではないでしょうか。
私は、特に三つ目の要素が大きいように感じます。
すなわち、マスターについての思い出の起点が、『初めて〇〇に来たとき』(B地点)よりずっと前の『〇〇のマスターの話を聞いていたとき』(A地点)であることで、A地点とB地点の間の出来事も(あくまで想像のものですが)思い出として認識されるため、"これあの"が親近感を誘発するのだと思います。
日常に潜む"これあの"。意識してみたら結構たくさんあるので、"これあの"を見つけることによって、日常の中の一瞬が非日常に変わるかも知れません。